ライオンズクラブとは

1917年の創設以来、ライオンズクラブはそれぞれのクラブが属する地域社会への感謝の意を込めて、人々へ奉仕を行ってきました。清掃活動などの地域に密着した活動から世界的な失明予防活動などの遠大なプロジェクトまで、ライオンズクラブは常に地域社会のより良い未来を築くために、取り組んできました。

 

今日、世界193の国及び地理的領域に46,000以上のクラブを有するライオンズクラブは、この地球上で拡大するニーズにこたえるために、更に支援の手を広げています。

日本のライオンズクラブは1952年、フィリピンのマニラ・ライオンズクラブのスポンサーにより誕生し、現在、8複合地区・32準地区に、約3,450クラブ、会員数13万人を擁しています。

私たちのプログラムは新しいニーズとより大きな要求に対応するために変化していきます。しかし私たちの使命は決して揺らぐことはありません。

「ウィ・サーブ われわれは奉仕する」

ライオンズクラブ国際協会の創設者メルビン・ジョーンズ

メルビン・ジョーンズは1879年1月13日にアリゾナ州フォート・トーマスで、騎兵隊を指揮するアメリカ陸軍大尉の息子として生まれました。後に彼の父は転属となり、家族は東部へ引っ越しました。その後、イリノイ州クインシーの学校を卒業したジョーンズはシカゴへ出て保険会社に勤務、1913年に独立し、保険代理店を設立しました。

 

その後彼は実業家による昼食会グループ「ビジネス・サークル」に加入し、間もなくその幹事に選ばれました。

 

このグループは、当時アメリカに多数存在した会員の職業活動における利益を高めるためのグループの一つでした。これらグループは世論に訴えるものが限られていたため、消えていく運命にありました。しかし、メルビン・ジョーンズは別の計画を持っていました。「意欲、知力、野心によって成功しているこれら会員たちに、その能力を地域社会の向上のために活用させたらどうなるだろうか?」と彼は自問しました。こうして、彼の招きに応じて27クラブの代表が地域社会のための組織を立ち上げるためにシカゴに集まり、1917年6月7日にライオンズクラブ国際協会が生まれました。このクラブは社交的なものとせず、会員は自分のためだけに利益を追求してはならないと規定されました。

 

ジョーンズは1926年、とうとう保険代理店を閉め、シカゴの国際本部でライオニズムに全身全霊を捧げることとしました。ライオンズクラブが社会奉仕に熱心な男性たちの注目を集めるのに必要な信望を得たのは、彼のダイナミックな指導力によるものです。ライオンズクラブへの女性の入会は1987年7月に認められました。

 

ライオニズムの創始者である彼は、協会外部でも指導者として認められていました。彼が最も誇りとしたことの一つは、1945年にサンフランシスコで開かれた国際連合の結成にライオンズクラブ国際協会を代表して民間諮問団体の一人として参加したことでした。

 

世界中の公共心を持った人々の指針原則となった「他人に尽くすことから始めるのでなければ、人生の大は成し遂げられない」という信念を持っていたメルビン・ジョーンズは、1961年6月1日に82歳で亡くなりました。

ライオンズクラブ国際協会の目的

  • 世界の人びとの間に相互理解の精神をつちかい発展させる。
  • よい施政とよい公民の原則を高揚する。
  • 地域社会の生活、文化、福祉および公徳心の向上に積極的関心を示す。
  • 友情、親善、相互理解のきずなによってクラブ間の融和をはかる。
  • 一般に関心のあるすべての問題を自由に討輸できる場を設ける。ただし、政党、宗派の問題をクラブ会員は討論してはならない。
  • 奉仕の心を持つ人びとが個人の経済的報酬なしに社会に奉仕するようはげまし、また、商業、工業、専門職業、公共事業および個人事業の能率化をはかり、道徳的水準をさらに高める。

ライオンズクラブのスローガン

Liberty,Intelligence,Our Nation's Safety

自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全をはかる

ライオンズクラブのモットー

We Serve

われわれは奉仕する

ライオンズの誓い

われわれは知性を高め友愛と相互理解(寛容)の精神を養い平和と自由を守り社会奉仕に精進する

ライオンズ道徳綱領

  • 職業に対する不断の努力が正しく賞賛されるように心がけ、自己の職業の尊さを確信すること。
  • 事業を成功させて、適正な報酬や利益は受けるべきであるが、自己の立場を不等に利用したり、人に疑われる行いをして自尊心を傷つけてまでも利益や成功を求めないこと。
  • 事業を遂行するにあたっては、他人の事業を妨害しないように心がけ、顧客や取引先に誠実であり、自己にも忠実であること。
  • 世人に対する自己の立壌や行いに疑いが生じたときは、世人の立場に立って解決にあたること。
  • 真の友情は損得の上に築かれるものでなく心と心のふれ合いによるものであることを自覚し、手段としてではなく目的として友情をもつこと。
  • 国家および地域社会に対する公民の義務を忘れず、かわらぬ忠誠を言動にあらわし、すすんで時間と労力と資力をささげること。
  • 不幸な人には同情を、弱い人には助力を、貧しい人には私財を惜しまないこと。
  • 批評は謙虚に、賞賛は惜しみなく、建設を旨として破壊をさけること。

ライオンと呼ばるる人

  • 事業を成功に導き、善良な生活を楽しみ常に微笑をたたえ、人類を愛し知識人の草敬を集め幼児たちに親しまれる人
  • その地位にふさわしくかつ精力的な仕事ぷりにより一輪の花と心うつ詩とそして、うるわしさを秘めた魂とによってよりよき社会をもたらす人
  • 人生の中に笑の輝きを感じその賛美の貫葉を忘れず友の美点をつねに見守り自らの良きところをまた友に贈るその人生こそ偉大なる感激そのもの彼こそライオンと呼ばるる人

ライオンズクラブの歴史

1917年6月7日

実業家メルビン・ジョーンズが所属していた「シカゴ・ビジネス・サークル」と27クラブの代表がシカゴのラサール・ホテルにて会議を開催。名称をAssociation of Lions Clubsに統一。


1917年10月8日~10日

アメリカ・テキサス州のダラス市で第1回大会が開催され、会則及び付則、目的及び道徳綱領が承認。


1920年

カナダで初めてのクラブが設立され、ライオンズクラブは国際的な組織に。


1925年

オハイオ州セダーポイントで開催された国際大会にて、ヘレン・ケラーはライオンズに「盲人のために暗闇と戦う十字軍の騎士」になるように呼び掛ける。このときから、ライオンズクラブは視覚障害者に対する奉仕に積極的に取り組む。


1950年代~1960年代

国際的拡大を続け、ヨーロッパ、アジア、アフリカなど世界中でクラブの結成が相次ぐ。


1952年3月5日

フィリピンのマニラ・ライオンズクラブをスポンサーとして東京ライオンズクラブ認証
(初代会長ライオン石川欣一/チャーター・メンバー56人)


1952年3月21日

東京ライオンズクラブ・チャーター・ナイト。エドガー・M・エルバート国際第1副会長、マヌエル・J・ゴンザレス国際理事が出席。


1963年3月31日

『ライオンズ国際協会日本地区10年史』発刊


1972年6月3日

日本ライオンズ20周年記念大会を東京・日本武道館で開催、「ライオンズ祝典序曲(古関裕而作曲)」発表


1981年4月

日本ライオンズ30周年・国際障害者年記念映画「ユリ子からの手紙(今村昌平監督)」放映。併せて日本ライオンズのPRフィルムも流される。


1981年10月8日

日本ライオンズ30周年記念全国大会、東京・日本武道館で開催


1991年8月26日

国際協会75周年記念の世界青年会議を滋賀県守山市で開催(~9・1)


2002年3月15日

日本最初のライオンズクラブ、東京ライオンズクラブが結成50周年を迎える。


2004年11月30日

日本ライオンズ連絡事務所が東京・日本橋から丸ノ内のパレスビルに移転。